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まじめにふまじめ大学生

大学生が好きなことを好きなように書きます。

夏休みにインドへ行った〜感想その2

留学でも、観光でもなく
ワークキャンプの参加者として、インドに初めて訪れた。
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ボランティアをただするのではなく
現地に2週間ほど住んで
現地の若者と一緒に過ごし、
料理をし、食事をし、働く。
「してあげる」
日本人としてではなく、
現地の人となるべく対等な関係でワークに臨む。
それが今回参加した
共同型ワークキャンプ
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一緒に行った友達が、

そのうち、ちっちゃくらは、ただの旅行じゃ物足りなくなると思う。
ワークキャンプじゃないと物足りなくなるよ。

そう言っていた。
その言葉の意味がわかった気がする。

現地の人と一緒に生活するということは
あちらの生の世界、
あちらの人にとっての日常を
体感して過ごすということだった。
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それに加えて、
ホームステイとは違って、立場は対等。

今回、自分が参加したワークキャンプ
ほぼすべてのことを、
学生が企画して考える形のもの。
用意されて守られたプログラムとは違って、
次の料理は何を作ろうか
どんな具材を買わなければならないか
自分たちで考える必要があった。

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食材を買いに行ったマーケット

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卵を売ってくれたおじさん


今回のワークの内容は
井戸の建設。
村人にニーズを聞いて
どこに井戸を作るべきかを話し合い
井戸を掘る予定だった。

だけど、村に行ってみると、なぜかもう井戸が掘られ始めていた。


村長が自分で決めて、
こちらに知らせず
業者に指示を出していた。

後で理由を聞くと、
忙しかったから連絡をする時間がなかった
といっていた。

真の理由が何かは分からないが、

ワークキャンプじゃなかったらきっと、
こんな現地の人の身勝手に
触れることはなかったと思う。

基本、
村の人たちは優しかった。
半年に一回くる日本人を歓迎してくれた。
僕の目に見えたのは
村人たちのそんな
明るい面ばかりだった。
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でもきっと、僕達が日本で生きているのと同じように、
誰かのことに不満をいだいたり
誰かと意見が食い違って喧嘩したり
することはあるはずだ。

テンションが上っていつもより笑顔が増えたり
落ち込んで人に迷惑をかけたり
色んな事があるはずだ。
むしろ
そうやって感情が揺れ動いているのが
多くの人の生活を占めているのかもしれない。

ワークキャンプ
現地の若者と、対等な立場で行動をともにできるから
そんな生の生活に少し、触れることができると予感していたのだけれど。

確かに、少し触れられた気がした。

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夜、いきなりダンスパーティーが始まったり。
日本人の行動に不満をもったインド人と喧嘩をしたり。
喧嘩をしたら口を聞いてくれなかったり。

そんな経験の一つ一つが、
インド人の生の生活に触れているようだった。

僕は現地に行くまで、
ワークキャンプ自体にはあまり
興味がなかった。

井戸ひとつ作ったところで
ボランティア一つしたところで
どうせ、影響があるのは数十人。


とても非効率的な
生産性が低い活動なんだと
思っていた。

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でも村に行ってから
心持ちが変わった。

日本人を見た時の
村人たちの反応。
子どもたちの笑顔。

自分たちのすることが
非効率だったとしても、
影響を与える人数が少なかったとしても、

少なくとも
いま目に映る人たちの人生に
影響を与えることができる。

別に生産性が低く見えても
なんでもいい。
どれでもワークキャンプをやってみたい。

そう思った。

海外ボランティアにハマる人って、
現地の人たちの笑顔やふるまいが
何かしら心の琴線に触れた経験があるんじゃなかろうか。

そういう人たちの気持ちが分かった気がした。

まあでもやっぱり、
色んな所を旅してみたい気持ちはある。